「夢眠ねむ」が完結する。
アカウントを作ってはみたけれど、ずっと書くことが見つからなくて。
正確に言えば、Twitterで済んでしまうことばかりでもあった。
文章として書きたいな、って思えたのが夢眠ねむについてだった。
ブログなんて10年ぶりくらいだから、書きかたとか考えとかひどいんです。
でも、残したくて、整理する自己満足のために書く。
多分、書き直したりすると思う。
わたしは、なぜ夢眠ねむが好きなんだろう。ってこと。
2019年1月7日 武道館での卒業ライブをもって、夢眠ねむはでんぱ組.incを卒業した。
アイドルを好きになって、卒業という事実が悲しく、泣いてしまう。
その経験を自分がするとは夢にも思わなかった。
なぜならば、わたしはアイドルを、アイドルという存在を馬鹿にしていたからだ。
でんぱ組.incに出会うまでは。
わたしが辛い時期にでんぱ組.incは、毎日を支えてくれた。
前を向く気力をもたせてくれた。
ねむきゅんの卒業にあたって、なんだかいろんな人が「夢眠ねむ」についてどう考えているのか。
そんなことが気になって、検索してみた。
ハッとしてグッときた。
わたしにはボキャブラリーが足りなくてうまく表現できなかったけれど『あのね…実はわたし、夢眠ねむなんだ…♡』のこの1節にはねむきゅんの魅力がギュッと詰まっていると感動したのを覚えている。やっぱりキヨシは天才だ!
夢眠ねむさんが卒業する - グレープフルーツちょうだい
そして、夢眠ねむというアイドルを自己プロデュースするようなスタンスは、ほとんど矢沢永吉のそれである。 「オレはいいけどヤザワはなんて言うかな」のやつである。 矢沢永吉という人格を演じきる態度。
#夢眠ねむ卒業公演 #推すという気持ち - 森の掟
今まででんぱ組.incが好きで、その中でも夢眠ねむが好きで。
その”好き”を突き詰めたことがなかった。
(ピンキーやねもちゃんやその他のメンバーみんな好きなんだけど、何より「メンバー×ねむきゅん」という構図が好き)
おそらく、わたしの中にある好きは「夢眠ねむ」というスタンスであり、概念であり、芸術なのだと思う。
(夢眠時代の「あるいは夢眠ねむという概念へのサクシード」でも言っているね)
アイドルだけど、アイドルだから作品を完結させる為の芯の強さや徹底したプロ意識を省みて無意識に感じさせて、でも押し付けるではなく魅力として惹きつける。
WWDBEST
会えなくなって初めて気付くような
想い出なんて 欲しくないんだ
わたしはこの歌詞のように、卒業が発表された時に夢眠ねむをどれだけ好きなのか気付いた。これが後悔というのね。
そんな不思議な魅力を持つ、魔法少女⭐︎未満 夢眠ねむ を2019年3月31日まで見届けようと思う。
きっとね、夢眠ねむが完結しても終わらないの。
それが芸術としての夢眠ねむだと思う。
ねむきゅんありがとう。大好きだよ。